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2007年6月18日

家族のあり方

先日、教師が相談できる専門の弁護士を設置するという報道がありました。
クレーマー的な保護者や住民が増えて、本来の教師としての仕事が出来なくなってきているということでした。
最近では給食費未納も結構あるようで、先生も大変だと思います。

大人びたことを言う子供も増えていますが、そのまま年齢だけは大人になってしまった大人が多くいます。
ましてやそんな人が子の親に・・・。

昔は、結婚したら親と一緒に住むのが当たり前で、そこには親戚やご近所のつながりが嫌でも絡んできました。
色んな葛藤や我慢をしながら、自分の心も鍛えられ、他人と共生していく術を否応なしに会得していったのだと思います。
子供達もそんな大人のやり取りを見ながら、人との関わりを学んでいったのだと思います。

自分は田舎の長男なので、子供の頃にはおじいちゃんとおばあちゃん、その上にもう一世代上のおばあちゃんと一緒に暮らしてきました。
近所のおばあちゃんもところどころでたむろしていました。
「この家は自分が継いで行く」という感覚も当たり前に子供の頃から持っていました。

「世間体」を気にする、ちょっと窮屈で自由がない感じもありましたが、悪いことをしなければそれほど気にすることでもなく、いい意味で「他人の目をきにする」というので、あまり人に迷惑をかけるようなことがしにくかった空気があったと思います。

自分が小学生のころに、ボチボチと「団地」と呼ばれるものが出来始め、そこに住んでいる子供達の親は共働きで核家族なので、家の鍵を自分で持っていました。
今でこそ鍵をかけるのが当たり前(というものの我が家は未だに寝る時以外は開けっ放しです)ですが、当時は珍しく「鍵っ子」と冷やかしたものです。

その頃から、核家族化はドンドン進んでいき、段々「個」を中心にした社会になっていったと思います。
今のいろんな社会の現象がすべてここに繋がっているように思います。

家族って何か?どこまでを家族というのか?一人一人が人との関わりの中で少しだけ我慢する。
それは、今している「不満」という名の我慢ではなく、「思いやり」という名の我慢をすれば、今の便利さや快適さを捨てずに、家族のあり方を昔に戻すだけで、先の学校の問題から介護や年金や環境問題でさえ解決するのではないかと思います。

一時的に離れ離れということはあっても、家族は一緒がいい。
狭い範囲でみても自分からみた親と子はどちらも大切な家族です。
親が育んできた環境を、その子の誰かが引き継ぎ、また次の世代へと託していく。
ビジネスも大切かもしれませんが、根本にこの想いがなければ、ビジネスをする意味がないと思います。
今一線で頑張っている人達に、そんな環境を築いてほしいと願います。

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