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2011年3月18日

今を悔いなく生きる

今回の東北関東大震災でお亡くなりになられた方のご冥福を祈るとともに、まだ安否確認が出来ていない方の無事を祈り、被災されている方々には心よりお見舞い申し上げます。

衝撃的な映像を見てから早一週間が経過した。

津波がくる映像をリアルタイムで見ていたが、何もかもを飲み込んでいく津波の恐ろしさをはじめて目の当たりにした。
でも、まさかこれほどまで広範囲に被害が広がっているとはその時には思わなかった。
日が経つにつれ被害の大きさが明らかになってきた。
色んな影響が被害がひどい被災地だけでなく、近隣にも広がり、次第に全国的な燃料や生活物資不足になってきた。

こういうことが起こると何かしなければという想いが沸いてくるが、大したことが出来ない自分を歯がゆく感じると同時に、日常的な生活をしていることに少し罪悪感を感じる。

こういう気持ちをはじめて味わったのは阪神大震災の時。
何か役立つ仕事がしたいと色々模索していた時期で、環境問題を解決しなければとちょっとした活動をしていた。
震災が起こった時は知り合いがボランティアに行ったり、何らかの行動を起こしていて、そんな中で大したことが出来ない自分を最初は情けなく思っていた。

自分の心の中には「ボランティアとかをする人はいい人。そんなことをしない人は薄情な人。」という感覚もあったと思う。
だから自分は何もせずに日常生活をしていることに罪の意識を感じていた。
もっといえば、そういうことを今自分がしなければいけないとは本当のところ思っていない自分が心の貧しい奴のようで情けなかったような気がする。
そんな葛藤の中、自分が今しなければいけないことは「今という瞬間を悔いなく生きる」ということだと思った。

それから数年後に、通勤中にある事故と遭遇した。
渋滞の中、何気なく左の方を眺めていたら、女子高生が歩道を自転車で走っている姿が目に入った。
次の瞬間、左折したトラックがその女子高生を巻き込み踏みつけて逃げていった。
追いかけてトラックは捕まえたが、女子高生は明らかに即死という状態だった。

テレビの中継でリアルタイムに家や車や逃げ惑う人達を津波が飲み込んでいく映像を目の当たりにして、過去のその二つの出来事がリンクした。
事故にあった女子高生もその家族もまさか二度と会うことが出来ない日がそんな形でやってくるとは夢にも思っていなかっただろう。
津波で被害にあった方々もまさか、今日という日がそんな日になるとは思わず、ほんの数分前までいつもと同じ日常という時間を過ごしていたにちがいない。

日常と呼ぶ時間を過ごせるというのはどれだけ価値があることで、どれだけありがたいことか。
今という時に日常生活が出来る人はそれに感謝し、瞬間瞬間に今目の前でできることにベストを尽くしていくことが、それぞれに与えられた役目だと思う。

世界中の人達が過去を後悔せず、未来を憂いず、他人を羨まず、他人を妬まず、ただただ今という瞬間瞬間に起こる目の前のことに、愛を持って自分らしくベストを尽くして生きていれば、地球上から災害というものがなくなるような気がする。

救援活動が出来る人はドンドンやればいい。
日常生活が出来る人はそこに全力を注げばいい。

何をするかが重要ではなく、一人一人がどう生きていくかが重要だと思う。
今を生きている人間が背負わなければいけない責任は、多くの犠牲を払った震災から何かを学び、何かを教訓にし、何かを活かして、よりよい未来を築いていくということ。

原発の問題もあり、まだまだ予断の許せる状況ではないが、これから先にどんなことが起ころうと、絶対に後悔しないように「今」という時を生きていこうと思う。

感謝の気持ちと平常心を持って。

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