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2008年10月26日

人の価値

人は外見・年齢・立場・役職・地位・職業などをミックスして、その人の「在るべき姿」を勝手に決めている。

在るべき姿=現実の言動や行動→当たり前 在るべき姿<現実の言動や行動→尊敬、感動 在るべき姿>現実の言動や行動→失望、不満 例えば、自分がまだ高校生の頃は20歳っていったら凄い大人で、自分達が今悩んでいるようなことは悩んでいなくて、何でも知っていて、人間的にも優れていると思っていた。
社会人になってからは社長というのは凄い人、職業で言えば、医者や警察官や政治家というのは、人間的にも優れている人がなるものだと思っていた。

自分が20歳を過ぎ、親になり、経営者になっていく過程で、自分が想像していた「在るべき姿」と実際になってみた「自分の姿」のギャップを感じた。
何も見えずわからないことだらけの高校時代と変わらない自分がそこにいた。

大人になるたびに、地位や立場が上がるたびに、人は鎧を着ていく。
弱い自分にいつもいつもはっぱをかけながら、人から見たあるべき姿を演じ、そのうち本当の自分を見失い、「大人とはこういうものだ」「社長とはこういうものだ」と何かを諦め、妥協していく。

基本的に年齢を重ねれば重ねるほど、地位が上がれば上がるほど、人間的にも成長していくことが本来の姿だと思う。
先輩は後輩が尊敬できる人になり、上司は部下が尊敬できる人になり、親は子供が尊敬できる人になる。 ただ現実はそうでないことの方が多い。
自分の事は等身大でみてほしいが相手のことは理想で評価する。
自分はそのままで相手の成長を求める。
自分は鎧をつけたまま相手に鎧を脱げという。
自分は嘘をつきながら相手に正直さを求める。
自分の心は閉じたまま相手の心をこじ開けようとする。

年齢が上の人、立場が上の人ほど、逆のことをやるべきである。
逆のことをやることが弱みを見せることだ、そんなことをしたらなめられると思っている人が多いが、実は逆。共感の先にしか真の尊敬はない。

人の価値は、年齢でも立場でも地位でもない。
心の在り方こそが本当のその人の価値だろう。

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