規律と自由
今はみんなに甘い時代。
人と競争するのはよくないから点数を付けない。
運動会での競技に順位を付けない。
お遊戯会では全員が主役。
会社でも、叱らずにほめて育てる。
役職で呼ばずに名前で呼ぶ。
ちょっとしたことで人権だの権利だのを主張する。
町内会でも、PTAでも、小さな店でも、大企業でもそこにいる人全員が同じ立場ではない。
何らかの形で上下関係がある。
これは決して、人間としての上下を決めている訳ではない。
二人以上が同じ何かをしようとすれば、リードする誰かがいる。
みんな横並びで同じでは収拾がつかずまとめられなくなる。
それぞれが個々に責任を持ち、自立し、認め合い、譲り合い、助け合いの精神を持っている非常に成熟した人の集団であれば、みんながフラットな状態で上下関係がなくても、まとまりある集団になると思うが、そこへたどり着くまでに、やはり組織としての統制が必要になるだろう。
組織の基本は「立場が上の人からの指示命令には絶対服従」だと思う。
決まるまでは喧々諤々と議論をするのはいいが、例え自分の反対意見であっても、組織として決まった事には従うしかない。
文句を言って従わなければ、その組織には属せなくなる。
一人として同じ人はいない。
違う考え方・価値観を持っている人達が混在しているのが社会というもの。
その中で秩序を保つには規律が必要になる。
規律が守れた先に自由がある。
社会人としての規律が守れないのに個人の意思も自由もない。
今の世の中に必要なのは甘さではなく厳しさ。
愛情がなければ鬼にはなれない。
人権を無視するようなやり方は論外だが、自立していない人達を個人主義という名で保護していては統制はとれない。
個人を尊重することとモラルのない人間を放っておくことは意味が違う。
年齢でも学歴でも家柄でも国籍でもない、人間性という物差しで世界を測る時代がきている。
その物差しを作らなければいけないのが日本人だということに気づいているのだろうか?
人間性の高い人間が、リーダーになり、そのリーダーに従うというより、憧れのような従いたいという気持ちにさせてリードしていく。
ついていく側にもそれなりの人格が必要になる。
自分の利益ばかり追いかけていても本当の利益は得られない。
自分以外の人のための利益を追求した時、自分も利益が得られるようになる。
本当の利益は金銭ではない。
幸せという感覚が本当の利益。
ということは、世界のリーダーは世界中の人の幸せを願い実践する人になる。
だから、みんながその人に従い、その人に従う事がみんなの幸せにつながっていく。
痛みを伴わない改革はない。
本当に自分以外の人の幸せを考えた行動をしている自信があるなら、時には強引に服従させる必要もある。
ただし去るという逃げ道を残して。 もっと規律ある自由な国にしましょうよ。