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2007年7月4日

背負うという事

またまた失言から大臣が辞任しました。
ただ、本当の真意はマスコミが言うほどの重みはなかったとは思います。

立場によって発する言葉の重みは変わってきます。
一般スタッフが言うのと管理者が言うのでは、捉え方が違います。
普段はそんなに「上の人」という接し方をしていないようでも、「自分より立場が上=人間的にも優れていて当たり前」という意識があるようです。

会社の中でも役職がついていくと、本人が望むと望まざると、周りの見る目は変わってきます。
それを受け入れるか拒否するかで周りの評価も変わってきます。

会社を設立して間もない頃は「社長」といわれても「いやいやただの名前だけやから」みたいに、よく言えば「謙虚」、悪く言えば「無責任」な気持ちでした。
社長という重みを感じてもまだ自分が受け入れられないという時期もありました。
それでも年月が経つとそれらしくなってくるものです。

多分自分は、世間の人ほど政治家や他の偉い人と思われる人=人格者だとは思っていないのだと思います。
もっといえば「大した人ではない」と思っています。
だから世間を騒がすことをやったり、失言があっても「人間なんやで失敗もするわさ。そんなに責めやんでも。」と思ってしまうのかもしれません。

本当にその立場の重みをわかった上で、その立場を目指す人、目指して実際にその立場になった人って何人くらいいるのでしょう?
「なってみなければわからない」それが現実ではないでしょうか?
自分は、今の自分が背負っているものを背負うことが実感として本当にわかっていたら、多分結婚も出来なかったし、ましてや親にはなれなかったし、社長にもなれなかったと思います。
わからないからやってこれた、少しずつ背負ってきたから背負えたのだと思います。

政治家といえども、「育ててやる」という意識を国民が持てばいいんじゃないでしょうか?
所詮、個々の人が期待するほどの人間なんて自分で育てない限り世の中にはいないのだと思います。
人を育てるにはまず自分を育てないといけません。
そう考えると「人のことより、まず自分」。
人のことをとやかく言う暇があったら、自分の人格を磨くことに専念した方がいいんじゃないんですか?

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