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2008年7月10日

罪を憎んで人を憎まず

世界遺産に落書きをした女子大生は何らかの処分を受けたらしいが、今度はお詫びの旅に出るとか出ないとか。
また別件の学校の先生は部活の顧問を辞任した。

確かに世界遺産に落書きをするというのはいい事だとは思わないが、何かがおかしい。
本人よりその上の人、上司とか指導者とかの責任が問われるので処分する。
そこには間違いを正してあげていい方向に導いてあげようという思いやりより、相手を責めて非難して処罰して、自分の身は守ろうとしている人達の姿が見え隠れする。

最近起こっている偽装や不正やこの落書き、そして世間的な事件にはなっていないが我が社内で起こっているトラブル、すべてに同じメッセージが潜んでいるような気がする。

人に迷惑をかけてはいけない、人の嫌がることをしてはいけない。
そんなことは当たり前のことだが、そうしようと思ってわざとする人はあまりいないと思う。
認識が甘い、気配りが足らない、悪気はないのだが人間としての未熟さがそういう現象を引き起こしてしまう。

今日も誰かが生まれて誰かが死んでゆく。
そんなことが何百年、何千年と過去に繰り返され、未来もまた繰り返されていく。

生まれたときからすでに成熟した理想の人間だった人はいない。
キリストにも釈迦にも孔子にもガンジーにも未熟な時代はきっとあった。
みんなが失敗を繰り返し成長してきたはずだ。

間違いを犯したらトコトン責める。
普通の人として生活できないくらい非難する。
相手の人格を否定できるくらい完璧な人間はこの世に一人もいないと思う。
みんなが同じレベルだからこの地球に生まれている。

相手を許す。認める。受け入れる。諭す。励ます。一緒に歩む。
自分と相手は違うんだよ。
だからそうやって協調しながらお互いに成長していきなさいよー、というメッセージが色んな出来事の中に含まれているのかもしれない。

経営者として、企業として成り立たしていくには、あまりに青臭い理想論かもしれない。
理想だけでまだ形にはなっていない。
それが我社の現実。でもそんなことが理想で終わってしまうなら、自分の存在はなくてもいいかもしれない。

今から10年後。
うちが発展していたら間違いなくいい国になっている。
そのためには瞬間瞬間、確実にそこに向かっている自分がいなくてはいけない。

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