組織の大前提
2人以上で何かをしようとすると、誰かリーダー的に考え行動する人がいる。
数人の自由な集団なら、物事によって都度都度リーダーが変わることもあるが、何か一つのことを考えたときには、まとめる「誰か」は必要になる。
任意団体にしろ会社組織にしろ、組織としての前提がある。
それは「上役の決定事項には従う」ということである。
上役の決定事項に従えないならその組織から外れるしかない。
その組織のトップになるという手もあるが、新人がいきなりトップになることはほとんど無く、従わなければ仕方が無い時期が必ずある。
最近の風潮として、人権という名の元に勝手な主義主張がまかりとっている気がする。
やれ個人の自由だの、やれ人権侵害だの、大人の責任とモラルやマナーをちゃんと身につけ振舞える人が言うのは分かるが、自分の責任はよそに権利ばかりを主張する。
そしてそんな人がいろんな組織の上役になっていく。
そもそも1人だろうが2人だろうが、人の上に立つということは、それだけ人間的にも魅力がある人でなければいけないと思う。
仕事が出来る、頭の回転が速い、スキルが高いという以前に、人として尊敬できる人かどうか。
組織の上に組織がある場合もある。
市→県→国、会社→事業組合→地方連合会→全国連合会、会社→業界団体→行政。
こんな場合でも基本は上位にいけばいくほど人間的にも素晴らしい人間になっていくというのが本当の姿だと思う。
カンブリア宮殿という番組の中で、日本理化学工業という会社が紹介されていた。
「日本でいちばん大切にしたい会社」という本を読んでその会社のことは知ったが、そこで働いている社員の75%が知的障害者という会社である。
その中で社員の子に「夢は何ですか?」と尋ねたら、「班長になることです」という答えが返ってきた。
「班長になれるような、みんなの手本になれる人になりたい」そんな想いがこめられていた。
そんな純粋な気持ちを、日本人のほとんどが忘れている。
人の役に立ちたいという想いではなく、人の上に立ちたい、人より偉っそうな地位につきたいという利己的な感情や欲を満たすための「出世」がある。
本来は自分より目下の者の幸せを願い、目下の者の手本となれる人でありたいという想いがあって、実際にそんな人になった人が「世」に押し出される。
それを「出世」という。
組織の外は社会である。
社会という大海原に組織という船で航海する。
上役になればなるほど荒波にさらされ、同じ船の乗組員の安全を守りながらも、無事に目的地に着くという結果の責任を背負わなければいけない。
人として尊敬できる人間が上役であるという大前提があって、次に組織としての機能的なのあり方がある。
目下の者の幸せのため、人様の役に立てる仕事をするためを考えて行動する上役がいて、それにつながるためにやらなければいけないことをやっていくための指示や指導がされ、みんなもそれに従う。
それが組織の理想的なあり方ではないだろうか。
まだまだ道のりは長いのかな???