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2008年3月5日

立場が人を作る

わが子が小さい頃、家に帰ると「お父さん、お帰り!」と3人が飛びついてきた。
すかさず、「だっこ!だっこ!」「グルグルして!」「馬して!」が日課だった。
その頃は「面倒くさいなー」と思いながら、遊んでいたような気がする。

そんなわが子も、長女は社会人、次女は高校生、長男は高校受験生になった。
長女は比較的想定内の範疇で成長していったが、次女・長男は、自分の予想を超えるというか、想定していない行動を起こしてくれる。

親には親なりの「こうあってほしい」という思いがある。
今では、それは親のエゴだと思えるが、言うことを聞いてくれていたものが聞かなくなった時、親としては「従わしたい!」という衝動に駆られる。
親というある種の権力で従ううちはいいが、中学生にもなってくると、「何でそうしなければいけないのか?」という問いに、明確に答えられる根拠がないと、親の思い通りに動かすというのは不可能になってくる。

そんな局面に何度となく遭遇し、突き詰めて考えてみると、犯罪になること以外、してはいけないことはないと思うようになった。
極端に言えば、人を傷つけるような犯罪でなければ、犯罪すら、その子の成長のためには必要なのかもしれないとも思う。

親だからといって、神様ではない。
小さなことでクヨクヨ悩み・迷うただの人間である。
赤ちゃんの時の親、幼稚園児の親、小学生の親、中学生の親、高校生の親、社会人の親、ずーっとずーっと、毎回親としてもはじめての経験で、何をどうしたらいいのかわからないのが現実。
でも親としての対応を求められる。
親としてそれに応じていかなければいけない。

そういう経験を積み重ねていくことで、親としてというより、人間として成長させてもらっているなー、と最近つくづく感じる。
最初は無理して演じていたものが、だんだん普通の気持ちになり、心にも余裕が生まれてくる。
子供によって、親が育てられていくのだと思う。

これは、社会に出ても同じだと思う。
先輩は初めから先輩ではないし、課長もはじめから課長ではないし、社長も初めから社長ではないその立場になって経験を重ねていくことで、だんだんと「らしく」なっていく。
色んな経験をさせてもらったおかげで、最近は「社長」らしくなってきたと思う。かな?

社会的な立場では、それなりに割り切れるというか、演じられるというか、受け止めて吸収できるようになってきたが、最後の難関は、やはり「家族」のようだ。
かなりの強敵である。
何が起こってもオヤジらしく対応はしていくが、もう少しペースダウンして、先の読める行動をしてもらえないものだろうか?

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