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1999年10月24日

社員にあてた手紙 1999年10月

「はじめに」

最近、よく思うことがある。
何の為に仕事をしているのか。
何の為に我社が存在しているのか。

ボロボロの軽自動車を借りて、宅配業として創業して、10年と5ヶ月。
創業時は、ただただ荷物を配達する事に専念していた。

最初の夏の繁忙期。農家の小屋を借り、昼間は1人、夕方から3人のアルバイトで毎日夜遅くまで配達した。
誰ともなくビールやつまみを買ってきては、かび臭い、蚊がいっぱいの小屋で、日付が変わる頃まで、お客さんの事、仕事の事を語り合った。

やがて20坪位の倉庫を借り、従業員を雇った。

初めての冬の繁忙期。
夏より少し多い夕方のアルバイトを手配したが、年末にかけてだんだん荷物がたまっていった。
クリスマス前の一週間。
はじめて徹夜をした。
夜中に前日までたまった荷物を仕分けし、調べて、車に積んだ。屋根までいっぱいになった頃、夜が明け出した。
少し仮眠して朝早くから配達した。
日曜日ごとに何とか帳尻を合わせ、無事、年を越すことができた。
12月を師走という意味がよくわかった。
サラリーマンの時には、感じる事の出来なかった仕事に対する喜びを感じることが出来た年だった。

翌年から、繁忙期前には折込広告でスタッフの募集をした。1人増え2人増え、荷物が増えたにもかかわらず、徹夜をしなくても配達できるようになった。
スタッフも増え、別の仕事も増えた。
と同時に、人に働いてもらうむずかしさも感じだした。
今思うと、とりあえず仕事をこなすというスタンスの始まりだったと思う。
次第に仕事に対する喜びが薄れだし、何を目指しているのかわからず、わからないから、伝えられず毎日が、ただ過ぎていただけのような気がする。

91年11月、当地に事務所と倉庫を建て移転。
平常月も配達してくれる人がいて、私の仕事は事務処理がメインになっていた。
この頃から、何かに行き詰まりを感じていた。仕事そのものに未来が見えなかった。
何かないかと模索し始めた。
直接仕事に関係ないこともいろいろやった。
セミナー、商品仕入れ、フリーマーケット等々。
いろんな人に会い、いろんな経験もした。
2年間位そんな事をやっていただろうか。
いろんな勉強にはなったが、仕事としてつながるものはなかった。
結局、仕事とつながらなければ、何かきれい事のように感じた。
人はパンのみに生きるにあらず、とはいうものの、パンがないと生きていけないのも現実である。

そんな事をしていても、今までの仕事は着実に続いていた。
そこで心機一転、もっと本気で仕事に挑んでいこうと決意した。
それから、仕事の流れが変わったような気がする。

約半年後の95年8月。
新しい分野の仕事の話がきた。
以前にセミナーで知り合った人の紹介で、現在も続いている発砲スチロール製品の納品代行の仕事である。
今考えると、この仕事の話をいただいた事、受けた事が具体的な転機になったような気がする。
この仕事をやるようになって、トラックと倉庫を増やすことができた。また何より、仕事の質の違いから、得るものが大きかった。

しかしこの頃から、スタッフとの間に、気持ちのズレがでだしたように思う。
仕事は仕事、好き嫌いで仕事をしているわけでもなく、ましてや、仕事が増えていく中、ある部分は任せなくては業務としても成り立たなくなっていくのは当然だと思うのだが……………。

そんな事を気にしつつ、96年4月。
また、新分野の仕事の話がやってきた。
現在では我社の売上の大きなウエイトをしめつつある引越業である。
海外引越という事で、何か未知の魅力を感じ、スタートした。
徐々に仕事も増え、段取り、作業等にたずさわる時間が多くなってきた。
その時間が増えれば増えるほど、気になっていた部分の問題も大きくなっていった。
何度となくミーティングも行ったが、結局、今から変えようとしている部分には踏み込めず、とりあえず、仕事の分担、仕事の質の向上のみにし、それ以上細かい事は言わず、とりあえず仕事がこなせればいいというスタンスを継続した。

いろいろあったが、98年2月。
念願の一般貨物運送事業の許可が下り、株式会社としての第一歩を踏み出した。
仕事も順調に増え、スタッフも増えた。

しかし、今年の春頃から何かすっきりしないものがあった。
“何かが違う”  今日に至るまで、今いるスタッフも含め、いろんな人達に助けられ、応援してもらい、ここまでくることが出来た。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

創業以来最近まで、私はある思いを働いてくれている皆に持っていたように思う。
私の仕事の為に働いてもらっていると、本当は私がするべき事を手伝ってもらっていると。
しかしそうではないんじゃないかと思い始めた。
仕事が増えれば増えるほど分担する事は当然であり、また任せられるスタッフがいるからこそ、仕事も増えていくのだと。
会社は私のものではなく、我々Team Kawakitaのもの。
仕事も私のためでなく、各自自分の為にしているのであると。
私の本当の仕事は実務をこなすことではなく、会社の舵をとることであると。

今まで、本当は言いたかったが仕事さえこなせればいいと、見て見ぬふりをしていた部分。
そこまで触れてはいけないと思っていた心の部分。
自分は絶対正しい、ではなく、本当にあれで良かったのだろうか、と自分を省みる事ができる謙虚な気持ち。
人に迷惑を掛けていないだろうか、と相手を思いやる優しい気持ち等、心の部分。仕事の目的はお金を稼ぐことだけだろうか、ただこなせばいいのだろうか。
お客様や仲間の笑顔に喜びを感じるあの気持ちは何だろうか。
要領良く仕事をこなすよりも、不器用でもどういう気持ちで仕事をするかということの方が、本当は大切ではないのだろうか。

以前より和気あいあいという事をいっているが、一人一人が、責任と思いやりを持って行動し、楽しいことばかりでなく、時には、お互いに忠告をしなければならないこともあり、お互いが切磋琢磨しながら成長していく仲間の雰囲気が、和気あいあいにつながるのではないかと思う。
そんなスタッフがいる会社だからこそ、仕事も増え、仲間も増えていくのが当たり前であり、存在価値があるのではないだろうか。

今までは、私が何をしたいのか、何を伝えたいのか、わかってもらえる指針になるものが何もなかったが、私達が何を目指しているのか(経営目的)、何を指針にするのか(社訓)を示し、それに沿って、励まし合い、時には注意し合いながら共に成長していけるTeamをこれから作っていきたいと思う。
今いるスタッフ全員がこのことを理解して、同志として共に歩んで行ける事を望むが、もし、理解していただけない場合は別々の道を歩むことになるだろう。
しかしそれも仕方がないと思う。私の正しい道が、あなたにも正しい道とは限らないから、皆が自分の信じる道を歩んだほうがいいと思う。

 

今ここで、全員に自分自身を見つめ直してほしい。
あなたが何を目指して、何のために仕事をしているのか。
なぜ、あなたが存在するのか。もし今、自分の周りで起きる出来事が気に入らなくても、それは、きのうまでの自分の行動や考え方の結果に過ぎない。
その結果を変えたければ、今、自分が変わらなければ、決してあしたも変わらない。私のせいでも、あの人のせいでも、この人のせいでもない、自分のせいだから。

いろいろと書いたが、決して私が正しいとも、自分ができた人間とも思っていない。
私自身も、もっともっと成長したい。会社も、もっともっと発展させたい。
そう思うから、一緒に泣いたり、笑ったりしながら共に成長していける仲間がほしいのである。

私は、いま、変わろうとしている……………。

今後、絶対できるとは言い切れないが、将来の我社の歴史になるように、また、今何を考え、どういう状況なのか、少しでも伝えることのできるツールとして、月に一回、こんなレポートが発信できればと思う。
経営目的  あらゆる出会いに感謝し、自然との調和のとれた文化を目指し、みずからの人間性を高めることを目的とした集合体が企業として発展することを証明する。

社  訓 

一、 始まりは、挨拶から。明るく元気な挨拶を心掛ける。

一、 嘘はつかない、ごまかさない。良心に従った行動をする。

一、 陰口、愚痴は言わない。意見は正々堂々と言う。

一、 世の中に偶然はない。すべてを素直に受け入れる。

一、 本気で思えば必ず実現する。より良い、明るい未来を創造する。

一、 前進あるのみ。とりあえずできる事から、責任を持ってベストを尽くす。

一、 人智尽くして、天命を待つ。ベストを尽くしたら、あとは、在るがまま、成すがままに。

1999.10.24 川北辰実

トラックチャーター便
鈴鹿・亀山・引越