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2010年2月19日

愛の反対

国母選手の「ちぇ、うるせーなー」は、TPO的にまずかったが、自分が10代、20代の頃には、そんなことを言いたくなる出来事は今よりもっと多くあったように思う。
親もうるさかった。
近所もうるさかった。
学校もうるさかった。
世間もうるさかった。

些細なことでもいちいちいちいち干渉されていた気がする。
干渉されるのが面倒臭いのが個人主義的な流れになり、結婚しないのも自由、離婚するのも自由、親と一緒に暮らさないのも自由、定職に就かないのも自由などなど、個人の自由が中心になった結果、隣で人が死んでいても知らんふりの社会になっていった。

確かに人から干渉されるのは面倒臭い部分もあるが、人と関わり合わなければ生きていけないのが人間である。
人と関わっていく中で、我慢する・主張するなどのバランスや他人との距離感などを知り、協調しながら自分を確立していく。

若いうちは礼儀も知らず、攻撃的だが、出るたびに頭をたたかれ、悔しい思いをしながら成長していく。
最近は、ガミガミ小言を言ってくれる、うっとおしい大人が減ってきた。

自分だけが良ければいい人=他人に無関心な人が増えている。
全体的に人間が幼くなっている気もする。

愛の反対は無関心だとマザーテレサは言った。
無関心と真逆にいる日本のおばちゃんは愛にあふれている?
欧米的なドライに合理的が破たんしかかっている。

面倒くさいが、他人のことにいちいちさいこをやく(干渉する)日本のおばちゃん的感覚が実は大切なことかもしれない。

みんな!おばちゃんを見習っていこう!

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