2008年10月21日
性善説と性悪説
そもそも人間は善なる心を持っているが、放っておくと悪い方向へいくので教育や礼が大切というのが性善説。
そもそも人間は悪い心(我・欲)を持っているが、教育やしつけ次第で誰でも聖人になれるというのが性悪説。
日本はどちらかというと性善説的考え方で、欧米は性悪説的な考え方のような気がする。
人の心は基本的に「思いやり」とか「いたわり」とか相手のことを思う気持ちがある。
その反面、行動が伴うこととなると「怠けたい」「楽したい」という気持ちが勝ってしまう。
どちらも誰でも持っている心だと思う。
相手の持っているいい面を見ることは大切だが、そこだけを見て期待して求めると失望することもある。
逆に相手の悪い面をみて、何も期待せずにいるとちょっとしたことが喜びになる。
性善説にしろ、性悪説にしろ、自分と他人を切り離して考えないと話がややこしくなる。
他人がどういう人であろうと基本的には関係ない。
自分がどう思おうと基本的に相手にはどうでもいいことである。
要は、それぞれが他人は他人でありのままを認めて受け入れ、自分は自分の想いと在り方を常にチェックする。
そうすれば他人に振り回されることはなくなり、自分がどう在りたいかだけが基準となる。
今まで性善説がいい捉え方、性悪説は悪い捉え方だと誤解していたが、手法が違うだけなので、TPOにあわせて考え方を使え分ければいいだろう。