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2010年1月13日

不便の方が幸せ

年明け早々に、山の木が邪魔になるということで枝などを払う作業をした。
その後、週末に薪ストーブの燃料にするために、ほどよい長さにチェーンソーでカットした。

そんな作業をしながら思ったのだが、今は働いたことでお金を得ることを仕事だと思っているが、ガスも電気もない頃は、毎日の生活を営むための作業が仕事だったのだろう。
ご飯を炊く、料理をする、お風呂を沸かす、暖をとるなど、生活に火は欠かせない。
その火の元はほとんどが木だった。
一日生活するためには薪にすると結構な量が必要になる。
木を切りだし、適当な長さに切って、割って乾燥させる。
何らかの作業を毎日に近いタイミングで行う必要がある。

他にも、野菜などを育てる、漁をするなどして、食料の確保も必要になる。
水を汲んで洗濯して干したり、繕いものをしたりと、田舎ではほんの少し前まで生活をするためだけに働いていたのだろう。

何でも簡単便利な世の中だが、生きるということに、もっと手間ヒマをかけた方が感謝の気持ちが深まるのではないだろうか。
不便な方が人間性を磨くような気がする。

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鈴鹿・亀山・引越