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2009年2月23日

ピエロと托鉢

昨日、大阪城を見に行った時の話。

ホテルから大阪城を目指して歩いている途中で、托鉢をしている修行僧?らしき人がいた。
何か念仏を唱えていたが、そのまま素通りした。

帰り道、ピエロのカッコをした人が立っていた。
前には「10円コース」「100円コース」「200円コース」という缶があり、おもしろそうなので200円入れてみた。
それまで微動だにしなかったピエロが太鼓をたたき出した。
2~3分くらいで動きが止まった。
10円コースはどんなものかと試してみたら、10秒くらいで終わった。
次は入れないと思うが、210円分くらいは楽しませてもらった。

その後、そういえばこのあたりに托鉢の人がいたよな?と思いながら歩いて行ったら立っていた。
再び素通りした。

托鉢の人は崇高な想いを持って、人々の幸せを願い立っていたのかもしれない。
一方、ピエロの人は、自分の飲み代のためにお金を入れてくれるまでじーっとしていたのかもしれない。
想いはどうであれ結果的には、托鉢の人にはお金を入れず、ピエロにお金を入れた。

人というのは遊び心はあるものにはお金を出しやすい、また出したくなるが、寄付とか何かいいことに使うという大義名分がありそうなことには意外とお金を出しにくいのではないか?
払う視点で考えるとそうだが、もらう視点で考えると案外逆をやっている。
大義名分をつけて集めて、わりといい加減に使っている。

お金の集め方と使い方は別物だ。
集めやすい=出したくなるやり方で集めて、誰かを助けるためや誰かの役に立つことに使っていく。
人を騙すようなばれたら傷つけるようなことは論外だが、おもしろおかしいやり方でお金を集めて、崇高なお金の使い方をした方が断然カッコいい。

何かがひらめきそうな予感がする。

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