これって宿命?
最近になってすごく意識しだした人がいる。
その名は「九一郎」。
自分の曾おじいちゃんだ。
創業してからずーっと、会社に神棚は奉っていなかった。
それは守り(もり)を出来ないと思っていたから。
奉ったは、そのまま何もしないでは反って失礼にあたる。
気持ちにもそんな余裕はなかった。
ところが今年の春から、一つ古めかしい神棚が奉られることになった。
それは、築約80年の我が家にあったものを持ってくることになったからだ。
我が家には、なぜか二つの神棚があった。
一つの神棚は、神社でもらってきた御札があげてあり、毎月1日と15日にお供え物を換え、お参りをしていた。
もう一つの神棚は非常に古めかしく、なぜか正月三が日だけ、お神酒を上げてお参りしていた。
父親からその行事を引き継いだ時、ただそうやっているというだけで、あまり意味はわからなかった。
家を取り壊すことになり、神主さんに御祓いをしてもらった時に、そこに奉ってある神様を聞いたら、よくお参りしている方は天照大御神と氏神様が奉ってあり、もう一つは、大黒様や天神様など、商売に関する神様が奉ってあるということだった。
なぜ、我が家に商売の神様が?
聞けば、父親が子供の頃にはすでに奉ってあったらしい。
そういえば昔、商売っ気があった先祖がいたと聞いた。
どうもその人が奉ったのでは?ということになった。
その名が「九一郎」 自分が生まれた時は、すでに他界していなかったが、名前だけはよく聞いた。
その人の奥さん、つまり自分の曾おばあちゃんは、自分が21歳になるまで健在だった。
だからよく聞いたのかもしれない。
聞くところによると、九一郎おじいちゃんは、まだ車がない時代に、近所の人達と牛車で運送屋みたいなことをしていたらしい。
また、その兄弟には、関東の方で運送屋をしていた人がいたらしい。
自分がこんな仕事をするようになったのは、九一郎おじいちゃんの想いがあったかもしれない。
もし、「オーラの泉」に出演したら、江原さんに「あなたの曾おじいちゃんがいつも見守っていてくれていますよ。」とか言われるんだろう。
と、そんなこんなで、新社屋の話もあったので、会社に奉ることになった。
今は、ちゃんと誰が奉られているのかちゃんと理解した上で、二つの社が、新社屋に奉られている。
おじいちゃんが叶えたかった夢を自分が引き継いでいるようのでは?
そんなことを新社屋に替わって、強く思うようになってきた。
と同時に、「必ず発展する」という自信も強く湧いてきた。
九一郎おじいちゃん、これからもヨロシク!
あなたのことは、未来の社長達にも伝えていきます。
自分の想いも一緒に添えて。