BLOG

2013年2月2日

乗り越えられない壁は目の前には現れない。

最近のニュースを見ていると、「体罰」というものがクローズアップされていて、わざわざ探して「ここにも体罰」「あそこにも体罰」みたいなことになっている。
報道ってなんかあるといつもこんな感じ。

確かに体罰は称賛できることではないかもしれない。
体罰だけでなく言葉だけみれば「言葉の暴力」と言われるものも相手を傷つけてしまうかもしれない。

でも、相手のことを思えばこそ、つい手が出る、つい強い口調になってしまうということはあると思う。
うちの社員に対しても、腹が立つというよりも、ついつい熱くなって声を荒げることはたまにある。

でもそれは、相手に期待しているから。
本当はできる人なのに、くだらないプライドがあったりや素直さがなかったりして「我」が強くなっているから、周りに迷惑がかかったり、本来の力を出せずにいるから、それをわかってほしくて、なんとか気づいてほしくて強い口調になる。

でも、相手にその気がなさそうなら何も言わない。そういう人は結局辞めていく。 柔道の件だけ言えば、金メダルを取るような選手は、体罰を体罰と思わず、その悔しさをバネに自分を鼓舞してどこかでは言われないように頑張ったと思う。
頑張った結果、金メダルが取れ「おかげさまで」ということになるのではないか。

スポーツ選手にしろ、ビジネスマンにしろ、できる人は逆境を成長の糧にする。
どんなことがあろうと相手を責めるのではなく、自分を成長させるための肥やしだと思って歯を食いしばって言われないようにする。
結果的に「できる人」になると思う。

今の時代、「嫌なことからは逃げればいい」「やりたくないことはやらなくてもいい」、怪我をしないように、傷つかないように、危なくないようにと何でもかんでも守り(?)過ぎ。

その結果、ちょっとしたことでも愚痴を言ったり、人や周りのせいにして、本来なら乗り越えなければいけない壁を乗り越えていないから、心が病みやすい人が増えていく。
自分自身かつては決して心が強い方ではなかったと思う。
今考えればしょうもないことで「このまま死んでしまおうかな」なんて思ったことは何度かある。
でも、結果的には乗り越えたから今があり、以前よりは強い心を手に入れることもできた。

乗り越えられない壁は目の前には現れない。
考えようによっては世の中はあらゆることが不条理で思い通りには進まない。
だからこそ、自分の目の前に立ちはだかる壁はすべて越えていく強さを持った方がいい。
その先に本当の自分らしさが存在するから。

トラックチャーター便
鈴鹿・亀山・引越