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2009年7月21日

尊重

自分が当たり前に出来ることや分かっていることを、人が出来なかったり分からなかったりすると、「そんなことも出来ないの?」「そんなことも分からないの?」と、少し見下した気持ちになる。

例えばビジネスマナー。

Aさんは、高校を卒業して入社した会社は研修がしっかりしていて、電話の出方・名刺の渡し方・言葉使い・立ち振る舞いなどを学んだ。
研修後もOJTで先輩達が教えてくれて一年後には基本的なビジネスマナーが身に付いた。

一方、Bさんは、大学を卒業して入社した会社では研修らしい研修もなく、ただただ仕事をこなしてきた。 AさんとBさんが同じ会社で働くことになった。
仕事をこなすというレベルでは遜色ない二人だが、Bさんはビジネスマナーがなっていない。
その時AさんはBさんにどんな感情を抱くか。
Aさんからみたら当り前のことが出来ない→この人大丈夫?、人間性まで疑いかねない。
これが上司と部下の関係だったり、年齢的にAさんの方が年上だとしたら、Bさんへの風当たりは相当なものになる。

家庭・職場・地域・民族関係なく、単なる誤解や思い込みが人間関係をギクシャクさせる。

人間の能力なんて基本的にはそんなに大差ない。
育ってきた環境や受けてきた教育によって、価値観や考え方が大きく変わってくる。
知識や考え方や想いの違いが、能力に差をつける。
人間として劣っている人なんて一人もいない。

争いの根本は、それぞれの価値観や考え方を相手に押しつけようとするから起こる。
それぞれが自分は正しくて相手が間違っていると思っている。
「あなたのため」といいながら、正しいと思っている自分の価値観の中に相手を縛ろうとしている。
それからはみ出る人には「おかしい人」「変わった人」「できない人」「悪い人」のレッテルを貼る。

人はみんな自由である。
私も自由、あなたも自由。
誰も誰かの自由を奪うことは出来ない。
お互いの自由意思を認めつつ、自分の考えや想いは相手に伝え、相手の考えや想いも聴き、お互いを認め、受け入れ、折り合いをつけていく。

人権尊重と言うと難しい話に思うが、人にはみんな違いがある、自分が正しいと思わないというこの二つを心掛ければ、それが人を尊重することになるのではないだろうか。

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