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2011年11月2日

褒めて育てるの真意

人は「褒めて育てろ」と言われるが、いまいちピンとこない部分があった。

確かに褒められるというのは気持ちがいい。
でも、褒めることをしてくれればいいが、どちらかというと注意しなければいけないことをする人に育ってほしいから叱るわけで、なかなか褒めることができない。

「相手のいいところに目を向けて」「いいところが発見できないあなたが未熟」とも言われるし、そうだとも思う。
でも状況はなかなか変わらない。

最近、子供を見ていて気付いたことがある。
やがて1歳6ヶ月になるその子が最近は色んな事を自分からやりたがる。

例えば、ゴミはゴミ箱に捨てに行くし、自分でご飯を食べようとするし、人の真似をして踊ったりする。
それを見ている周りの大人達は、そうすることがかわいいし嬉しいので「上手やなー」「すごいなー」と褒める。褒めるとまた喜んで何かをする。

そんなことが日常繰り返されている。
周りの大人達は別に子供をおだててそんな事をさせようと思っている訳ではない。
大人達もその行為をする子供が心から愛しく嬉しいから褒めている。

褒めて育てるというのはそういうことなんだと思う。
その人の行為が褒めるに値するかどうかではなく、その人自身に愛情を持っているか、その人の成長が自分の喜びと感じられるか、問われているのはその人のことをどう思っているかというこちら側の気持ちなんだと思う。

もし、その子が命の危険に関わることや人を傷つけることをしたら本気で叱るだろう。
大人になった時のことを考えて、しつけておいた方がいいと思うことは、泣こうがわめこうが厳しくしつけるだろう。
それもその子のことを思えばの愛情があるからこそだと思う。

肝心なのは褒めることでも叱ることでもなく、相手に愛情を持っているかどうかなんだと思う。

社員の幸せを願っていると言っているが、本当に愛情を持って接しているのかな?俺。

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