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2007年5月16日

名プレーヤー、名監督にならず。

個人で大きな成果が出せたからといって、リーダーになってチームとしてより大きな成果が上げられるかというとそうでもないことが多々あります。
逆に個人としては大した成果が出せなくても、リーダーになったらチームとして大きな成果をあげられる人もいます。

個人として大きな成果を出せる人の中にも二通りあります。
地道な努力をしてきた結果、名プレーヤーになったか、それほど努力しなくても初めから器用だったり要領がよかったりして名プレーヤーになったかです。
何が違うか?
簡単にいうと「頭を打ってきた」かどうかです。

自分が動く時と自分以外の人を動かす時と何が違うのか?
それは「人」です。
自分以外は自分ではないし、自分以外の人もよく似た人はいても、まったく同じ人はいません。
基本的に人は自分を基準にします。
「自分だったらこうする」「自分だったらこう思う」「自分だったら嬉しい」「自分だったら嫌だ」等です。
何も頭を打たずに出来た人は出来るのが当たり前で、出来ないことの方が分からないことです。
出来ない事が分からないから、出来ない人を責めます。
責められたら伸びるか?
よほど根性があれば別ですが、普通は辞めるか、ますます出来ない人になります。

逆に自分が努力や苦労してきたという事は、その時点ではスムーズに出来なかったということです。
出来なかったものが出来るようになっていく時の、プロセスや気持ちなどが分かっているから、そのことを自分の経験で伝えることが出来ます。
責めるというより励ます形になると思います。

自分はどちらかというとあまり器用ではないと思います。
かといってむちゃくちゃ努力してきたということもありませんでした。
どこか出来る範囲で逃げられる範囲で傷つかない範囲で行動してきたように思います。
泥臭いことを避けていたように思います。
もちろん名プレーヤーではありませんが名監督でもありませんでした。
遅咲きながら、最近になって、泥臭いこと大好き!熱くなること最高!という感じになってきました。

名プレーヤーは才能があるか、本気で目指して努力をすればなれると思いますが、名監督になるには「経験」が必要だと思います。
乗り越えてきた壁の大きさや多さ、それに伴って感じた喜怒哀楽。
名監督になれるかなれないかは自分以外の人の喜怒哀楽にどれだけ共感できるか、共感できる人の数をより多く持てるかどうかだと思います。

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