チャーター便、国際物流、海外引越は運送会社カワキタエクスプレスへ|三重県・大阪府・愛知県・奈良県・滋賀県・京都府

ごあいさつ|三重県の運送会社 : チャーター便、国際物流、海外引越は【カワキタエクスプレス】|カワキタエクスプレス
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ごあいさつ

三重のチャーター便はカワキタエクスプレス|代表 川北辰実より

三重のチャーター便はカワキタエクスプレス|子供達が憧れる仕事に。未来永劫必要とされる企業を目指して

社会人というものを意識しだした頃、漠然と「何か自分にしかできないことをしたい!」と思っていたような気がしますが、何がしたいのか、何に向いているのかもわからないまま、高校に求人が出されていた自動車部品関連の製造業に就職しました。

それから約7年後、一度の転職と色々とアルバイトをやった中の宅配便配達員から軽貨物運送事業者として独立をしました。

三重のチャーター便はカワキタエクスプレス|仕事をする意味を考える。しかし・・・

最初のうちは、ただ自分が動いた分がダイレクトに収入につながるのが楽しくてやりがいを持って仕事をしていました。やがて、人を雇うようになり自分が動かなくても収入が得られるようになり、ちょっと調子にのってマネーゲームに手を出し失敗。その頃から、仕事をする意味を考えるようになりました。

人の役に立つような仕事、人から喜ばれるような仕事がしたいと思い始めたものの、何かを運ぶという仕事がそれにつながるとは思っていませんでした。どちらかというと、限りある化石燃料を使って、排気ガスをまき散らかして、渋滞を巻き起こす、こんな仕事に将来はないと思っていました。

三重のチャーター便はカワキタエクスプレス|業務拡大。そして、挫折

そんなことを思いつつも、仕事は順調に増えていき、宅配業から引越業へと業務も拡大していきトラックが必要になってきたので、一般貨物運送事業として法人化。それでもそれほど会社を大きくしようとはあまり思っていませんでした。ただ、社員が楽しくやりがいと誇りを持って仕事をしているプロ集団を作りたいと思い始めたのがその頃です。

法人設立から3年後、人生最大の挫折。何もかもがうまくいかなくなってしまい会社をたたんでしまおうと思ったこともありました。
色んな人の支えがあってなんとか復活。とにかく売上を上げることだけを考えた半年。やがて仕事も増え社員も増え、再び仕事の意味やわが社の存在意義を考えるようになりました。

三重のチャーター便はカワキタエクスプレス|ドライバーが誇りとやりがいの持てる会社に

運送・物流というのは人の営みがある限り必要とされる仕事。でも、そんな大切な必要な仕事なのにそこに携わっている人達があまり尊敬されていない。どちらかといえば、他の仕事では勤まらないから「とりあえずトラックでも乗るか」的な最後の仕事になってしまっている。そこに危機感を覚え、子供達が憧れる仕事に、大学を卒業する子達が「トラックドライバーになる!」と言った時にご両親が応援してくれるような職業にしたい。それには、プロドライバーとして当たり前のことを当たり前にした上で、お客様に喜んでいただくことに誇りを感じるようなドライバーを育て、そんなドライバーが誇りとやりがいの持てる会社にしたいと、今日に至っています。

三重のチャーター便はカワキタエクスプレス|これからのカワキタエクスプレス

夢も未来もない業種だと思っていた運送業界に夢と未来を見出した時、社会人を意識しだした頃に思った「何か自分にしかできないこと」がリンクし始めました。

会社の規模を拡大することが目的ではありませんが、社員がやりがいと誇りを持って仕事をし、お客様にも喜んでいただき、社会からも必要とされている企業になった証として、2020年までに年間売上高100億円という物流企業グループになれることを目指しています。

また、今だけでなく、未来永劫必要とされる、続く価値のある企業であるために1000年続くような経営基盤を作りたいと思っています。
トラックドライバーという仕事が尊敬され、夢と誇りの持てる職業にするために。また、運送業界が人々に必要とされる業界として発展し続けるために、カワキタエクスプレスは当たり前のことを当たり前にし続ける企業として磨き続けます。

三重のチャーター便はカワキタエクスプレス|代表取締役社長 川北辰実

三重のチャーター便はカワキタエクスプレス|代表取締役社長 川北辰実

1964年2月4日生まれ。
辰年、みずがめ座、A型。

座右の銘
「侠気」
よく思い浮かべる言葉
「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」、「初心忘れるべからず」、「笑う門には福来たる」
影響を与えた言葉
「少年よ、大志を抱け」、「大器晩成」


幼少時代 あまり自分の気持ちを出す方ではなく、周りからは「おとなしいねー」って言われてきたが、自分的には「そんなことないのに」と何か秘めたるものを持っていた。
小学5年生
くらい
それまでちょっとやんちゃなグループで遊んでいたが、なぜかある日を境に無視されるようになり、やがて、同学年で話をしてくれる子が一人もいなくなった。その後、余計に自分の想いを秘めるようになった。同時に人を信じられなくなった。
1976年3月

三重県津市立大里小学校卒業

中学時代は、特に何かを頑張ったとか楽しんだという事もなく、なんとなく流されて過ごしていた。ただ、愛読書は「成り上がり」と「人を動かす」と本宮ひろ志氏の漫画で、「永ちゃん」と「硬派銀次郎」に憧れ、そんな男になりたいと思っていた。

1979年3月

三重県津市立一身田中学校卒業

高校一年生の時、駅で他校の生徒と危ない人達も参加し警察も出動するような乱闘騒ぎに。その後、たまたまカッコつけて学校の便所でたばこを吸ったのが見つかり、同学年初の謹慎処分に。その後はわりと静かに高校生活をおくった。

1982年3月

三重県立亀山高等学校 普通科卒業

増田製作所鈴鹿工場入社。

溶接工として2年間勤務。特に遊ぶ訳でもなく、会社と家の往復だけをするような平凡な日常を過ごす。家を出たかったのもあり、同社浜松工場に志願転勤。約1年間、浜松で暮らす。

1985年4月

同社退職

親から「どこへ行っても3年間はちゃんと勤めろ」と言われたこともあり、3年過ぎたのと何か自分らしい生き方をしたいと思い始めて退職。しばらくプー太郎生活。その頃愛読していた「あいつとララバイ」の主人公・研二が北海道へ行く場面を読んで、北海道へ旅に出る。旅の途中で1ヶ月半くらい富良野の牧場でアルバイト。延べ1ヶ月半は車で野宿をしながら利尻島・礼文島も含む、北海道制覇。北海道へ行ったら何かロマンスが生まれるかもと結構期待して行ったが何も起こらず。

帰宅後、何か仕事はしなければいけないので職探し中、亀山に新しく工場を建てる埼玉本社の会社を発見。何となく東京近郊へ行きたかったので、最初の1年くらいは埼玉勤務ということだったので就職する。

1985年9月

東洋電装・鶴ヶ島工場入社

入社早々に配属されたところでかわいい子を発見。後に結婚することとなる。
寮生活でよく似た年代の仲間がいたので、結構楽しく過ごす。
北海道へ行ったことによって直接的に何かがあった訳ではなかったが、北海道へ行ったことで何か流れが変わったような気がする。

1年半後、同社亀山工場に転勤。

後輩として大量に新卒者が入ってきたので、なんとなく学生のノリ的な雰囲気で、わりと楽しく仕事に行っていた。

1987年11月結婚
1988年11月

長女誕生

子供が生まれてすぐに会社の待遇やあり方が嫌になり退職を決意。今度こそ、何か自分で始める!という決意し、自分の道を探すためにいくつかのアルバイトを掛け持ちでこなす。その中の一つの宅配便の配達という仕事に興味がわき、アルバイトでなく請負でやらないかという話があり独立。しばらくはそこの車を借りて業務をこなす。

1990年1月軽貨物宅配事業としてカワキタエクスプレス開業。
1990年7月

次女誕生

最初の頃は、時間に縛られず自分がやったらやった分の報酬が得られることに喜びを感じていたが、小銭ができると凡人が考えるのは「楽して金を儲ける」ということ。株式投資や金の先物投資などにはまる。1年間で150万円損失。1個配達した報酬が200円という仕事をしているのに「何をしているんだ」と自己嫌悪に陥る。

そんなある日、ふらりと寄った本屋さんで「船井幸雄著 人間の研究」という本に出会う。それまでは、本宮ひろ志の「硬派銀次郎」と矢沢永吉の「成り上がり」とデールカーネギーの「人を動かす」が自分にとってバイブルだったが、その後、船井幸雄氏の本や関連の本にはまり、1年に数冊しか読まなかった読書が、1週間に5冊くらいは読むというペースが1年くらい続く。著名人に話を聞きにいったり、セミナーに参加したりしているうちに、環境問題に関心を持つ。

1993年2月 長男誕生
1994年1月 地球にイイコトやってる会設立
1995年1月 会報「縁コロジー」創刊号発刊
1995年3月

会報「縁コロジー」第2号発刊

環境にいいといわれていたグッズの販売やセミナーを開催する。その頃も生業としては宅配事業をしていたが、その仕事に将来的なビジョンが描けず、何か世間に役立つことを事業にと考えつつも、大きくは繋がらず。いい話をする講師や、そこに集まる人達のやろうとしていることと人間性のギャップに疑問を持ち始めた頃に、阪神大震災が起こる。自分が目指すものが何で、今やるべきことが何かということに気づきはじめる。

1996年3月

会報「縁コロジー」第3号発刊
地球にイイコトやってる会解散

世の中のためになることをと気負うことをやめて、本業に集中。集中しだしたら仕事が増え、宅配事業だけでなく、納品代行業や海外引越事業を始める。順調に受注が増え、4tトラックの購入を検討。それまでは、白ナンバーの2tトラックで仕事をしていたが、いつまでも白ナンバーという訳にはいかないと思い、最初はすでに運送業をしているところのナンバーを借りようと相談にいったが、条件さえ整えばわりと簡単に一般運送事業の認可が取れるということで法人を立ち上げることを決意。

1998年2月

一般貨物運送事業として株式会社カワキタエクスプレス設立
同社代表取締役に就任

一般貨物運送事業を始めたものの、事業としては宅配と引越。
運送事業者との繋がりがほとんどなく、関東へ行った時の帰り荷や関東からの輸送の依頼に対応できなかった頃に全国ネットワークの求車求荷システム「ネットワークKIT」と出会う。

ちょうどインターネットがはやり始めた頃で、インターネットを使った(当時はまだインターネットにはなっていなかった)求車求荷システムということと全国で1500社くらいの運送事業者と一気にネットワークが組めるということに魅力を感じ、ネットワークKITに加盟を決定。ただし、既存の組合には事実上入会させてもらえなかったので、協同組合設立を決意。

2001年2月 ロジネット協同組合設立。理事長に就任
2001年8月~
2002年1月
運送事業協同組合の活性化促進のための21世紀委員会委員に就任(日貨協連)
2002年7月
~2003年1月
物流連携効率化事業委員会委員に就任(岡山県中央会)
2002年7月
~2003年12月
KITインターネットトライアル研究会委員に就任(全ト協)
2002年8月
~2003年2月
中小企業組合等活路開拓事業に係る調査検討委員会委員に就任(日貨協連)
 

組合設立と同時期に、自分自身のモチベーションが過去最低のどん底に向って進み始める。約2年間、家庭も仕事もボロボロ状態に。自分自身のどん底を味わう。その頃にはうつ病という病気はあまり知られていなかったが、もし、あの頃にそんなことが言われていたら、間違いなくうつ病と診断され、病気になってしまったと思う。ただ、組合に関連する活動をしていたので、何とか自分を保つことができた。

会社の預金通帳の月末残高が数千円という状態が続き、会社をつぶすか続けるかという瀬戸際までいき、ようやくやる気を取り戻し始める。

しばらくは毎日「明日になったらまたやる気をなくしているんじゃないか」という不安な気持ちを持ちながら仕事をしていた。不安を無くすためもあり、メンタルヘルスやTA、NLPなどの心理学を学ぶ。

2003年11月

組合の今後の在り方についてというような題目で初講演(日貨協連)

日貨協連の青年部組織YOUの幹部メンバーに向けて、組合の今後の在り方について話をしてほしいと依頼。ちょっと調子に乗り始めた頃だったので快諾。初めて講演をするのに行きの新幹線で内容を考えるというなめよう。結果は大恥をかいた。相手は3代・4代続いているある程度の規模がある老舗の運送会社の後継者。こちらはといえば年間売上が1億も満たない設立5年くらいの会社。思いっきり冷たい視線とアウェイな雰囲気。

でも、おかげでそれまであまり規模などを意識していなかったが、「絶対に見返してやる!」と火がつき、規模拡大を目指す。同時に、物流業というのは縁の下の力持ちで、表立って感謝されることは少ないが、どれだけ世の中が便利になっても、人の営むがある限り、物流というものは決してなくならない。誰かがやらなければならない必要な仕事を、環境への負荷を軽減し、人に優しく、安全第一で、サービス業としての地位を確立し、ドライバーという仕事に夢が持て、誇りある地位の高い職業にする礎になる企業として発展することを目指し始める。並行して、話し方講座・プレゼン講座・フォトリーディング・マインドマップ・マーケティングセミナーなど、自己啓発にも力を入れる。

2004年4月
~2006年3月
トラボックス委員に就任(トラボックス)
2004年5月
~2005年3月
WebKITシステム改善検討委員会委員に就任(全ト協)
2005年5月~ WebKIT事業推進委員会委員に就任(日貨協連)
2006年4月 ゴルフデビュー 初スコア141
2006年

講演回数2回

日常業務は幹部に任せられるようになり、あまり事務所にいると悪いところに目がいきついつい口出しをしたくなるので、ゴルフを始める。この時期、それまでは自分のモチベーションを上げる、自分のスキルを高めることの勉強が多かったが、経営品質や経営計画、人材教育や組織作りなどの実務的な勉強も始める。

2007年 講演回数1回
2008年 講演回数5回(事例紹介的な事も含む)
2008年5月~ WebKIT事業適正化委員会副委員長に就任(日貨協連)
2009年 講演回数4回(事例紹介的な事も含む)
2009年5月~ ローカルネットワーク東海北陸地域本部システム委員会委員に就任
2010年6月~ WebKITシステム改修に係るワーキンググループ座長に就任(日貨協連)
2011年7月~ ローカルネットワーク東海北陸地域本部積み合わせ部会部会長就任
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